Challenge/内田裕也とフラワーズ

1969年07月25日00:00  フラワー・トラベリン・バンド 写真あり









[sales data]
1969/7/25
[producer]
内田裕也?
[member]
内田裕也
千葉ひろし(vo)
麻生レミ(vo)
小林勝彦(steel g)
奥進(g)
和田丈二(ds)
橋本健(b)

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今では芸能界のご意見番みたいな色物扱いの内田裕也も日本ロック黎明期は
本気で日本のロックを世界に発信させようと頑張っていた功労者の一人で、
1967年春、所属の渡辺プロを無断で飛びだし約3ヶ月のヨーロッパ旅行にでかけ、
当時のブリティッシュ・ロックの興隆を現地体験した数少ない日本人で、
特にジミヘンに大きな衝撃を受け、フラワーズを結成。

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内田裕也という人物が面白いのはバンマスにもかかわらず決して表に立たずバンド内では
MC&演出など裏方仕事に専念することが多く、フラワーズでも入手難の輸入盤を
ロンドンから自費で大量に買い漁って来てバンドメンバーに何度も聴かせるなど
当時の日本メディアからは吸収できない最先端の音楽をむさぼっていたようです。

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GSブーム時の1967年に加瀬邦彦の「愛するアニタ」でデビューする予定が没となり
(この曲は結局ワイルド・ワンズが歌うことになった)所属事務所が芸映プロという
主に俳優のマネジメント会社だったため、意外な映画で数本演奏出演したり
(「風のつむじ風」「無頼・殺せ」「あぁひめゆりの塔」など)



2枚組のレコード「オペラ・横尾忠則をうたう」の一部に音源が収録されるも
活動の殆どがゴーゴークラブやジャズ喫茶の営業演奏でなかなかレコードデビューの
機会に恵まれませんでした。

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ブリティッシュロックをダイレクトに日本に持ち込んで広めようとしていた内田裕也の野望は
(この頃の内田裕也インタビュー記事(ヤング・ミュージック誌)
「「将来は源氏物語をロックアルバム化するのが夢だ。J・エアプレインだって
忠臣蔵をやっているではないか!」)
時期悪くGSブームに追いやられ念願のレコードデビュー(1969/1/25)は
歌謡曲の色合い濃い「ラスト・チャンス」(ブルー・コメッツがお蔵入りさせた楽曲)で
メンバーは乗り気ではなかったが事務所からこれをやればアルバムは好きに作らせる
という約束で渋々リリースとなったようです。

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ようやく自分達の音楽のアルバム化がかないジャケもろともフラワー感覚満載の好作品です。
(「片足の男」をのぞき全洋楽カバー)
全員オールヌードのジャケットも話題になった矢先メンバーの麻生レミと小林勝彦が渡米を希望。
内田裕也は大変なショックを受けたようですが気を取り直しジョー山中、石間秀機等を
スカウトしF.T.B結成に発展します。

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