2018-02

The Apryl Fool/エイプリル・フール - 1969.10.15 Wed









[sales data]
1969/10/15
[producer]
エイプリル・フール
[member]
小坂忠(vo)
柳田ヒロ(key)
菊池英二(g)
細野晴臣(b)
松本隆(ds)




はっぴいえんど生誕前夜GS~ロック過渡期のサイケデリックサウンド。
元々は小坂忠、柳田ヒロが在籍していたGSバンドのフローラルがモンキーズ・ファン・クラブ
日本支部が応援するグループとして売り出され、アルバム制作の話が出た頃に
柳田の兄の友人宅のパーティーで知り合った菊池英二、細野晴臣、松本隆をメンバーに加え
フローラルを再編したのがこのエイプリル・フールとなります。

当時アート・ロックと呼ばれていたアイアン・バタフライ、ヴァニラ・ファッジなど
オルガンロックを中心としたハード~プログレ志向の柳田とシンプルな描写を追求する
細野の見解が対立し半年ほどで解散。
小坂忠はロックミュージカル「HAIR」出演し、柳田ヒロは人気セッションキーボディストとして
活動の側らフード・ブレイン~ソロ活動を開始し、細野&松本は「はっぴいえんど」へ。
(菊池英二氏のみ、その後の消息が全く不明)
このバンドを起点に人脈を辿って行くと70年代ほとんどの主要邦楽バンドに行き当たると
思います。
(PS)
ネット検索していたらYMOメンバーがエイプリルフールをイジッタ大変面白いネタ
を見つけましたのでご参笑ください。

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見るまえに跳べ/岡林信康 - 1970.06.15 Mon









[sales data]
1970年6月
[producer]
早川義夫
[member]
岡林信康(vo/g)
大瀧栄一(g)
鈴木茂(g)
細野晴臣(b)
松本隆(ds)
吉田日出子(vo)
稲葉正三(b)
木田高介(fl)
渡辺勝(org)
渡辺勝(p)




タイトルは大江健三郎の著書から拝借。



60年代末期、資本主義による高度成長と理想の世界のギャップで混沌とする世の中に乗じ、
メッセージ色の強いプロテストソングで一世を風靡しますが
本人の意思と関係なく「反戦フォークの旗手」「フォークの神様」などあらぬイメージを
押し付けてくる周囲に嫌気がさし1969年9月「下痢を治しに行ってきます」と書置きし
一時蒸発。
その間潜伏先の友人宅でプロテスタントフォークの旗手だったボブ・ディランが
ザ・バンドを引き連れてロック化したアルバムを聴きこんで、強く影響を受け同URC所属の
はっぴいえんどの協力で制作したソロ2nd。
(注)
このアルバムからはっぴいえんどはヴァレンタイン・ブルーから改名(1970/3)
松本談
「『はっぴいえんど』という詞をぼくが書いて、細野さんが曲を作って、細野さんと
車に乗ってる時に急に「松本、はっぴいえんどの方がいい」ということになって
グループ名が決まったんだよね。
『はっぴい』でも『えんど』でもない『はっぴ「いいえ」んど』」

岡林さんは小学校低学年の頃からリアルタイムに知っていて、それは本人というより
近所の年長のお兄さんが朝のテレビ番組のコーナーの「子供のど自慢」だったか
「勝ち抜き歌合戦」だかに出演して「友よ」を歌ったのでよく覚えています。

このアルバムが岡林本人のターニングポイントの作品だとかはっぴいえんどがバックで
演ってるなんてことは後から知ることになるのですが、はっぴいえんどメンバーが
岡林氏とのジョイント時期に社会派ソングに手を染めたことを語ることは皆無で
(現在に至るまでの再接点もなし)ある意味、黒歴史として黙殺しているのかもしれません(笑)



ちなみに早川義夫のカバー曲「NHKに捧げる歌」は当時の恋人、吉田日出子とのデュエット曲。



更に余談ですがドラマ「愛という名のもとに」(野島伸司脚本/鈴木保奈美主演)の最終回は
「私達の望むものは」という岡林の同曲がタイトルとなり楽曲も効果的に使われてましたね。
(個人的にはチョロが死んじゃったのが大ショックでした(苦笑)

はっぴいえんど(通称:ゆでめん) - 1970.08.05 Wed









[sales data]
1970年8月5日
[producer]
秦政明
[member]
鈴木茂(g)
大滝詠一(vo/g)
細野晴臣(vo/b/key/g)
松本隆(ds/per)



YMOの再特集を編集していて「しまった」と後悔したのは、やるならはっぴいえんど~
ティン・パン・アレイ周辺から時系列に整理すれば良かったなと・・・

happyend.jpg
実は、昨年末NHK-BSで大瀧さんの一周忌に合わせた企画で、
はっぴいえんどの風街ろまんのマルチテープが発見されたということで、
細野・松本・鈴木の3人が集まってマルチトラックを聴きながら
当時を語るという特番があり、既に何回も聴いたアルバムだったんですが、
まだまだ知らない音があることに気づかされ、
もしかしたらこのはっぴいえんどのアルバムは今後も聴くたびにどんどん印象が
変わるのではないかと思い、年明け真っ先に再編集作業に取り掛かろうと
思っていたのですが、ブログの移転作業準備にかまけて企画を保留にしたまま
忘れてました(苦笑)

で遅まきながら今年のG.W.は、「はっぴいえんどとその仲間達」と題して
はっぴいえんど~ティン・パン・アレイ周辺をざっくりやってみようかと。

[はっぴいえんど結成の推移]
エイプリール解散後の細野&松本に細野と洋楽アルバム情報同好会の仲間だった
大瀧が加わり、林立夫、小原礼のスカイから鈴木を迎えた4人で
バレンタインブルーを結成(1969/9)
遠藤賢司のniyagoレコーディング後、はっぴいえんどに改名(1970/3)
はっぴいえんど名義で岡林信康「見るまえに跳べ」レコーディング参加(1970/3~4)
通称「ゆでめん」と呼ばれる本作品をアオイスタジオで1970年4月9-12日の5日間で録音。
はっぴいえんど結成の詳細はこの細野さんのインタビューをご参照ください

メンバー4人の共通の思いは当時人気のGSは歌謡曲の延長でつまらない、
フォークはメロディと歌詞は面白いけどリズムが駄目で今までにない
何か新しいもの(somthing newというよりニュアンス的にはsomething else)を
作りたいと強く考えていたそうです。

松本談
「ジャックスの「からっぽの世界」の歌詞に影響を受け、この曲がなければ
はっぴいえんどはなかったかもしれない」

jacks.jpg

バッファロー・スプリングフィールド、モビー・グレープ、プロコル・ハルムを
模倣した大瀧と細野の音楽性に「日本語によるロック」の仕掛け人である
松本がダブルミーニングなどの技法を積極的に歌詞に取り入れ、
都市に暮らす人々の心象風景を「ですます」調で描き、ここにはっぴいえんどの
something else(説明できない何か)が生まれます。

大瀧談
「レコーディングが終わった後は全員が「やったなぁ」って感じだった。
朝になって外へ出たらすごく清々しくて。
その時、鈴木茂が「やあ、すがやかな天気だなあ」って言ったんだよ。
爽やかと清々しいとを足しちゃったんだよね。でも「すがやか」っていう
一語に尽きたね、全員が。で、ものすごくいい天気だったんだよ」

細野談(春よ来いについて)
「彼(大瀧)の存在は、僕には大きいところがあって、宮沢賢治と同郷人という、
なんか東北の暗い懐の深さを感じた。そこを松本隆は引っ張り出してきた。
大瀧にとっては「春よ来い」は面白くない歌だったと思う。
こたつに入る暗いイメージは、現実そのものだったからね。
大瀧も音楽的な人間だから、詞のことはあまり深く考えずに、言われたとおりに、
出来上がった詞を忠実に歌ってたのね。彼はバッファロー・スプリングフィールドの
スティーヴン・スティルスの歌い方や曲作りを勉強したり、スティルスと
リッチー・フューレイの歌い方を一つにしようとしたり、そういう所では
マニアックに音楽をやっていたんですよね」

本作品はニュー・ミュージック・マガジン'71年4月号の第2回レコード賞で
「日本のロック大賞」を受賞。
(第1回レコード大賞は岡林信康のわたしを断罪せよ

URC系のアーチストが上位を占めることに対しフラワー・トラヴェリン・バンドの
内田裕也氏が難癖つけて世にいう日本語ロック論争が起こりました。
日本語がロックに溶け込んだとは思えませんが、やはりこのアルバム前後で
「日本語とロック」の認識は随分変わったと思います。
今ではチャラチャラした英語だか日本語だか分からない聴き取り難い語呂合わせ造語で
格好良く踊って歌えるリズムありきな歌が多いように思いますが「言葉」には
魂が篭っていること(言魂)を強く認識して歌って欲しいとおじさんは思います。

岡林信康コンサート(1970年12月1日神田共立講堂) - 1970.12.01 Tue









[sales data]
1971年2月
[producer]
unknown
[member]
岡林信康
高田渡
加川良
はっぴいえんど




フォークからロックへの転換、しんどいライヴツアー、外圧の増加と人間関係の葛藤など
かなりイッパイイッパイの時期のライヴで「わたしを断罪せよ」「見るまえに跳べ」から
選曲された岡林のある意味、直後に下り坂を迎える頂点を記録した作品。
(1970年12月1日東京神田共立講堂)

URCならではですが、ゲストの高田渡、加川良、はっぴいえんどの単独演奏コーナーも
きっちり収録されていてライヴではなく「コンサート」と称されていた時代の記録として
大変興味深い内容です。
前半は弾き語り、後半ははっぴいえんどを従えたロックサウンドでアルバムの一番の聴き所は
ヤケクソ気味の岡林のボーカルを煽るような鈴木茂のギターが炸裂する「私たちの望むものは」です。
(PS)
はっぴいえんどが岡林のバックを演奏したのは1970/4/24~1971/1/21まで。

ごあいさつ/高田渡 - 1971.06.01 Tue









[sales data]
1971年6月1日
[producer]
早川義夫
[member]
高田渡(vo/g)
池田光夫(bandneon)
石田順二(fiddle)
中川イサト(g)
木田高介(p)
岩井宏(banjo)
加川良(bvo)
遠藤憲司(bvo)
はっぴいえんど






1968年、高石(友也)事務所からURCレーベルの記念すべき第1弾でプロデビューし、
京都を中心に活躍していましたが、結婚を機に事務所を辞め(>キングレコードに移籍)
吉祥寺に引越し、現代詩をフォークにのせるスタイルを確立させたメジャー・デビュー作。
プロデュースは飲み友達の早川義夫。
中川イサト、加川良、遠藤賢司の他、はっぴいえんどが4曲に参加。

実は高田さんの楽曲は洋楽のパクリ曲が多いのですが、ある方の名言を引用させていただくと

「高田渡の曲は洋楽のそれとわかるパクリ曲であるが、本人自身がオリジナルなので
大目に見られている人徳者である」(笑)

曲数が多いほど印税が沢山もらえると勘違いしたため豪華16曲入りになったとの
逸話もあります。



この後、吉祥寺で武蔵野タンポポ団を結成し以後吉祥寺フォークのドンと呼ばれます。
(2005年4月16日没)

iseya.jpg

尚、高田渡が生前愛した焼き鳥屋いせや総本店は2008年ビルに様変わりしちゃいましたが
まだ昔の風情で営業してますので吉祥寺にお越しの際は是非お立ち寄りください。
(味はともかく滅茶苦茶安いです(笑)

風街ろまん/はっぴいえんど - 1971.11.20 Sat









[sales data]
1971年11月20日
[producer]
はっぴいえんど
[member]
鈴木茂(vo/g)
大滝詠一(vo/g)
細野晴臣(vo/b/key/g)
松本隆(ds/per)




いつだったか忘れたのですが、夕暮れ時、新宿ガード下周辺を歩いていた時、
ビル群を夕日が照らし、新宿東口全体がセピア色に見えた時があったんです。
その時、頭の中に浮かんだメロディは何故かはっぴいえんどでした。

松本談
「都市開発で子供の遊び場だった場所がマンションやビル建設で失われ
そのなくなる前の場所はどこに行ったかというと子供の記憶の中に残っていて
その記憶の街をパノラマみたいにいっぱい集めたひとつの架空の街が風街なんです」

東京オリンピック開催に合わせ急開発で失われて行く「東京の姿」を「風街」という
架空の街にみたてたのがアルバムコンセプトで実際、松本氏の自宅は五輪通りの
道路拡張工事で強制立ち退きになったそうです。

風街のイメージは「風をあつめて」がキーワードになっていて
この楽曲の誕生エピソードは興味深く、元々この曲はファーストに収録するつもりで
作ったロックビートの「手紙」が元曲で低音域の細野氏が無理に高音域で歌うも
没テイクに。

「手紙」♪
街の隅、この小さな路地の日暮れ時には、あっちこっちの家から夕御飯の匂いがして、
人は忙しそうに家に帰る 風をあつめて、風をあつめて、風をあつめて、
おふくろの手紙を読む。

細野談
「僕は実家の近所に住んでいるから、お袋から手紙をもらったことなど無いし、
だいいちお袋とも呼ばない。これは松本隆の思い出かな(笑)
曲が半端だし、なにより歌が全然歌えていない・・・」

kazemachi-1.jpg

しかし松本氏同様、東京のあちこちにあった路面電車に乗り、同じ視点で急激に
東京が変わっていく様を見ていた細野氏は
「東京の街に風が吹いている世界は非常に音楽的だ」と思い「風をあつめて」という
キーワードだけは次に活かしたいと思い、改良を加えバンドメンバーでリハテイクを録るも
低音域の細野氏には高音域がどうもしっくり来ず、本番の録音寸前まで
なかなか音がまとまらなかったとのことです。



その時、救世主になったのは等身大で歌うジェイムス・テイラーのスタイルで
キーを落として自分の低音に合わせていけるんじゃないかと思いつきますが
自信がなく本テイクをどうするかは直前まで決めかねていたそうです。
その証拠がこの楽曲の演奏者クレジットなんですが
細野(g/b/org/vo)松本(ds)と二人だけの演奏で完パケになっています。

松本氏の記憶によると本番直前に細野氏からちょっと聴いてみてよとアコギで
キーを下げた「風をあつめて」を演奏し「いいんんじゃない」ということで
そのまま二人だけの録音になったとのこと。
細野氏によると「曲がちゃんと出来てないから鈴木を呼んでも演奏の指示ができないので、
取り合えずリズム録りで松本だけ呼んで作っちゃた」(笑)
(「手紙」「風をあつめて」「夏なんです」の高音域リハーサルバージョンは
はっぴいえんどBOXに収録されました)

又「花いちもんめ」は鈴木氏が初めて作った楽曲でここに松本全詩、楽曲制作に
メンバー全員が関わるというバンドの理想型が完成しますが、この曲を何故、
鈴木氏に任せたかというと、その理由は松本流ダブルミーニングの3番の歌詞にあり、


右手の煙突は 黄色い煙を吐き 
左手の煙突は 赤い煙を吐く 
みんな妙に怒りっぽいみたい

松本談
「"右手の煙突"が細野さんで"左手の煙突"が大瀧さんなの。解散直前で(笑)」

松本隆の詩の世界と各人の音楽センスが絶妙にブレンドし日本語とロックの融合に成功。
難癖つけて日本語ロック論争を巻き起こした内田裕也氏もこのアルバム内容には
完敗だったようで以後この論争は自然消滅。
細野談
「ロックは世界に通用するが日本語では世界に通用しないという主張の裕也さんは
ビジネスマンでもあったから、僕らよりも視野が広かったと思いますが、
その頃の僕らは世界に通用するとか売れるとかそういうことは重要ではなく、
ただただ音楽を研究したかったんだと思います」

そしてその研究結果の成果はどうかというと「風をあつめて」が
映画「ロスト・イン・トランスレーション」で使用されると日本語歌詞を解しない
多くの外国人に共鳴し日本語のまま「風をあつめて」を歌う様子がyoutubeに
多数UPされるという珍現象が起きています。



松本談
「バンドがあまりにも急速にピークを迎えてしまったのは残念でした・・・」

文部省は国語の時間に宮沢賢治の小説と同じコマ数を使ってでも取り上げるべき
価値ある文芸作品(哲学に裏打ちされた音楽)だと思います。

み空/金延幸子 - 1972.09.01 Fri









[sales data]
1972年9月1日
[producer]
金延幸子
細野晴臣
[member]
金延幸子(vo/g)
細野晴臣(b/p/etc)
中川イサト(g)
林立夫(ds)
鈴木茂(g)
吉野金次(celsta)




70年年代前半ニューミュージックムーブメントで荒井由実、吉田美奈子、りりぃといった
女性シンガー・ソングライターが登場する以前、60年末期、関西のアングラフォーク出身で
中川イサト、瀬尾一三、松田幸一と四人で「愚」というバンドで
シングル「あかりが消えたら/マリアンヌ」をリリースし、
バンド解散後、URCからリリースされた初ソロ作品。

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今はカラオケでちょっと上手く歌えれば取り合えずプロデビューできちゃう時代ですが
選ばれた本物の歌い手によるアルバムです。

大半が彼女のオリジナルですが、大瀧詠一が提供した「空はふきげん」の歌詞は
はっぴいえんどを意識した「ですます調」でこの作品内では異質です。

大瀧氏がこのアルバムに参加していない件について金子談
「URCでアルバムを作りましょうって話が出てきた時に、大滝君としては自分で
プロデュースしたがってたみたいなの。でもシングルの時の志向の違いがあったから、
私はそうしたくなくて。それで細野さんに頼んでみることにしたの。彼の家まで行って、
"お願いします、プロデュースやってください"って。そしたら、ニコッとして優しい感じで
"イイですよ"って言ってくれた。でも"大滝の方は大丈夫か?"って心配してた。
で、大滝君とも話して、私としては細野さんをリスペクトしているから細野さんと
やりたいと言ったら、それでもいいって。当時はそんなこともあって大滝君は
レコーディングに入ってないの」

このコメントは、はっぴいえんど解散前後の細野VS大瀧の微妙な関係を物語っていて
面白いですね(笑)

又このアルバムは細野、鈴木、林が顔合わせたことで後のティン・パン・アレイとして
スタジオミュージシャン活動に専念し都会的サウンドを作る走りでもあります。

金延さんの力量から考えれば、ティン・パン・アレイ・ファミリーとして
冒頭の人気女性シンガー・ソングライター同様に活躍したと思われますが、
本アルバムをリリース後、アメリカのロック評論家ポール・ウィリアムズと結婚し
アメリカに渡ってしまったため、知る人ぞ知る伝説的なマイナーアーチストでしたが、
小沢健二がコンサートのSEでアルバムを使用したところ渋谷系のファンの間の口コミで
再評価が高まり、1994年に日本の音楽シーンに復帰しているようです。

HAPPYEND/はっぴいえんど - 1973.02.25 Sun









[sales data]
1973年2月25日
[producer]
はっぴいえんど
Van Dyke Parks
[member]
細野晴臣(vo/b/etc)
大瀧詠一(vo/g)
松本隆(ds/per)
鈴木茂(vo/g)
*****
Kirby Johnson(brass arrange)
Van Dyke Parks(org)
Tom Scott(sax)
Billy Payne(key)
Dave Duke(horn)
Slyde Hyde(trombone)
Chuck Findly(tp)
Lowell George(g)




はっぴいえんどの解散話は大瀧詠一氏のソロデビューアルバムを録音していた
目黒のモウリスタジオで突然切り出されたようです(1972年7月頃)

細野談
「みんな僕がリーダーだと思ってたんで、僕が何考えてるかを尊重してくれてたんだと
思うんですけど。僕は解散を決心してたんですね。他のメンバーはまだ未練があるみたい
だったし、そういう意味では衝動的でわがままな解散だったワケです」

大瀧談
「松本がえらい勢いで、おー、それなら解散してやろうって、席をバーンって
立ったのだけは覚えてる」

松本談
「僕が怒って家に帰った日があるよ(笑)。イスをけとばして。
解散っていうのは、大滝さんと細野さんで決めちゃったから。」

鈴木談
「僕はもう全くね、その時は予測してなかったんですよ。
だから、まだまだやるもんだと思っていたし、非常にショックでしたよね、
その話が最初に出た時」

周囲の証言を整理すると風街ろまんでバンドの全エネルギーを使い果たしてしまい
メンバー間はバラバラで、解散は時間の問題と考えられていたようです。

そんな状況下で何とか3枚目のアルバムを作らせたいと考えたレコード会社は
以前より計画されていたメンバーのアメリカ旅行にかこつけて
アメリカのレコーディング・スタジオでの最新レコーディング技術の体験をすすめ
メンバーを説得し、レコーディングが決定。

大瀧談
「三浦光紀さん(キング>ベルウッド社長)が高田渡と一緒に米に行くとかっていうので
大滝も一緒に行かない、みたいな話だったの。で、その時に、俺も行くんだったら、
みんなも行きたいって言うんじゃないのかなって、俺は思ったわけ。
みんなの話を聞いてみよう、みたいな事で、で行くかって言ったら、みんな行くってなって」

しかし突然の解散に腹の虫が収まらない松本は、ドラムスに専念することと
鈴木の作品以外は歌詞を提供しないという条件付きでしぶしぶ参加となったのですが
ソロアルバム制作直後でアイディアがすっからかんの大瀧は何も用意してなかったので
仕方なく2曲提供しています(笑)

このアルバムにはリトル・フィートのローウェル・ジョージやビル・ペインが
レコーディングに参加していますが、これは計画的な参加ではなく、
メンバーが同スタジオで行われていたリトル・フィートのレコーディングを
見学する機会があり



細野談(この時リトル・フィートのことは知らなかったそうです)
「何よりもびっくりしたのは、圧倒的なサウンドでしたね。
力強いビートと。音のクオリティ。彼らのエネルギーと興奮状態。
音楽を作る現場というのはこうあるべきかもしれないというような。
彼らは、いまきっと何か新しいことを生んでいるに違いないということが
伝わってくるんです」
(勿論スタジオのテーブルには何やら怪しい白い粉もあったとのこと(笑)
是非、アルバム参加を頼みたいということで事務所を通さず、その場で交渉し
現金即払い(3時間7~8万円)で参加になったとのこと。

レコーディング初日(10/7)表面上は取り繕っていたものの録音が始まると
メンバー間のギクシャクした異様な雰囲気を察したミキサーは
「先ず笑え、笑わなかったら俺は降りる」とメンバーに笑うことを強要し
半笑いでレコーディングが進み、それからほどなく録音がスムーズに運ぶ中
現地のコーディネーターつながりでダン・パイク・パークスがぶらっとスタジオに現れ、



細野談
「ソング・サイクル」の印象が強いので、ちょっとクレイジーな人かなと思ったら
本当にそうだった(笑)ラリってスタジオに来て、僕たちに向かって延々と天皇制について
演説しているかと思うと、ピアノを一人で弾き出して止まらなくなっちゃうんですよ(笑)
当時はしらふな時なかったらしくて、困った人だという印象があってね。
ソッとしておかなきゃいけない。この人、大丈夫かな?って思うくらい
嫌なヤツだったんです(笑)」

大瀧談(さよならアメリカ、さよならニッポンについて)
「コード進行だけを決めて2拍子でやっていたところにヴァン・ダイクがやってきて、
気ままにピアノ弾きだした。突然リズム・アレンジを始めて。あれよあれよと言う間に
あの曲になっちゃった。メロディもみんな決めちゃうんだよ(笑)。
"真珠湾は卑怯だぞ"なんて言いながら勝手にやってるの。ぼくたちすることなくてさァ」

松本談
「ヴァン・ダイク・パークスがリズムを作って、メロディを大瀧さんと細野さんが考えて。
ヴァン・ダイク・パークスが単純な繰り返しのワン・フレーズを考えてくれと言ったの。
で、みんな卓の前にずらっと並んで待ってるから、瞬間芸で何十秒かで考えた。
でもそれが深かったね。後の生き方をすごい変えた。この詞には、いろんな意味での
「違和感」が現れてる。解散するのに録音してる違和感とか、アメリカが嫌いだと言いながら
アメリカの音楽を聴いて育ち、それを表現手段にしてる自己矛盾だったりとか」

鈴木談
「ぼくらと一緒にピアノを演奏していたかと思うと、突然立ち上がって、
お前たちの首相は誰だ?第二次世界大戦は日本のせいだ、とか言いはじめて、
英語で30分くらい演説するの(笑)。ぼくたちはポカーンとして、文句言ってるのは
わかった(笑)」

観光ついでのつもりが各メンバーが今回の初の海外レコーディングで得た物は大きく

細野談
「まるで絵を描いているような作り方。リズムを作って、ビートを聴いて、
そこにアクセントを付けていく。できあがっていくものはすごく立体感のあるもの。
レコーディングに対する考え方が90度くらい変わっちゃった。それは大滝もそうです。
ぼくと大滝がそれを受け継いでいます」

大瀧談
「ヴァン・ダイク・パークスはブライアン・ウィルソンがやってる現場を見ているわけだし、
ブライアンはフィル・スペクターを、スペクターはリーバー&ストーラーを見てきたんだよ。
ここで、僕の聴いてきた音楽が全部つながったの、一線に。確信したんだよ。
これまでの蓄積だったら、僕も負けないからね。自信を深めちゃったよ。
で、帰りにハワイに寄った時に細野と同じ部屋で“今まで聞いてきたバッファローや
60'sポップスやそれらが全部一線でつながったよ”って言ったら“それは大切な事だ”って
言われて。だから、音楽の旅という意味では、もう来る事ないなあって思った。
事実これ以降、行っていない。海外録音は必要ないと、この時に決めたんだ。
帰ってきてから、スタジオ持たないといけないなと強く感じた」

鈴木談
「ローウェル・ジョージに会って開眼したんだよ。ああ、スライドってそうなんだ。
オレの間違ってたって。いや、間違ってはいないんだけど。目の当たりで
ローウェル・ジョージ見ちゃったからね。見ちゃいけないものを見ちゃったんだよね。」

松本談
「帰りの飛行機でプロの作詞家になることを決意した。ドラムはもうやめようと思った。
リトル・フィートのレコーディングを見学させてもらって、テイク20録ってもまだまだいける
体力の違いを見て、僕はここまで出来ないと諦めが付いた(笑)」



最後に細野談
「その後の一人一人については、茂にも大瀧にも松本にもあったと思う。
まあ、海外レコーディングでそれぞれ自立できる力をもらったというか。
ある意味、解散を後押ししてくれた」

さよならアメリカ~さよならニッポン~さよならアメリカ~さよならニッポン~
バーイ、バーイ、バーイ、バーイ、バーイ・バーイ・バイ・バイ!

1973.9.21「CITY - LAST TIME AROUND」 - 1973.09.21 Fri

トリオ・レコードと風都市(4人が所属する事務所)が設立したレコード・レーベル、
ショーボート所属アーチストのお披露目イベント。
(1973年9月21日文京公会堂)

FWZ3z.jpg livehappy.jpg


第一部:南佳孝/吉田美奈子/西岡恭蔵/ココナッツバンク
第二部:大瀧詠一&ココナッツバンク/ムーンライダース/キャラメルママ
第三部:はっぴいえんど

はっぴいえんどは1972年に実質的に解散していましたが、せっかく4人揃うんだから
はっぴいえんどもやろうという流れで急遽再結成して解散コンサートが組み込まれ
三部構成で実施。
(解散コンサートのために再結成するパターンはなかなかないですよね(笑)









[sales data]
1974年1月15日
[producer]
風都市
[member]
吉田美奈子(vo/p)
南佳孝(vo/p)
矢野誠(strings arrange)
<ムーンライダース>
山本浩美(vo/g)
鈴木順(g)
鈴木博文(b)
矢野誠(key)
松本隆(ds)
<ココナッツ・バンク>
伊藤銀次(vo/g)
駒沢裕城(steel guitar)
藤本雄志(b)
上原裕(ds)
シュガー・ベイブ
山下達郎(bvo)
大貫妙子(bvo)

showboat.jpg

<<1973.9.21 SHOW BOAT 素晴しき船出>>(青盤)

CITY - LAST TIME AROUNDの一部と二部に出演した
細野プロデュースの吉田美奈子、松本隆プロデュースの南佳孝、ムーンライダース、
大瀧一プロデュースのココナッツバンクの音源。
(細野&鈴木のキャラメル・ママの音源は残念ながらカット(泣)
又未収録ですがココナッツ・バンクとシュガーベイブをバックに大瀧一座の布谷文夫が
「冷たい女」を歌唱。
大瀧談
「ココナッツ・バンク、布谷文夫、大滝。これ「ナイアガラ・トライアングル VOL.0」
なんですよ」

新人の吉田美奈子&南佳孝は同日それぞれのソロアルバムがリリースされ
この日がデビューライヴ。



新曲ばかりの進行で観客の反応はイマイチでしたが、大瀧詠一&ココナッツバンク
辺りから盛り上がりを見せたようです(この音源は赤盤に収録)










[sales data]
1974年1月15日
[producer]
風都市
[member]
大瀧詠一(vo, g)
細野晴臣(vo, b)
鈴木茂(vo, g)
松本隆(ds)
*****
鈴木慶一(pf)
西岡恭蔵(vo/g)
ココナッツバンク

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<<1973.9.21 ライブ!! はっぴいえんど>>(赤盤)

第三部のはっぴいえんど解散コンサートの模様と西岡恭蔵(一部)大瀧&ココナッツ・バンク
(二部)の演奏を編集した音源。

Bc-ZwH_CIAAvuge.jpg
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大瀧談
「みんなで集まって何をやろう、みたいなところから、たまたま、話がはっぴいえんど
聴きに来るやつは、1曲くらい演奏しないと、おさまんないんじゃないのみたいな感じで」

細野談
「ぼくもキャラメル・ママ名義で出ていたんだよ、当日。インプロビゼーションをやったね。
この時のはっぴいえんどは「はいからはくち」なんかをファンキーなアレンジでやってる。
勢いでキャラメル・スタイルでやってるはっぴいえんどだね」

鈴木茂談
「あれはもう解散ていうよりも、むしろその次の発表の場だったわけですよ。
僕達にしてみればキャラメルママでやったし、そういった意味では大滝さんは、
その後コロムビアに移るんですよね。それの、何だっけ、銀次たちと一緒だった
ナイアガラ何とかっていうサイダーの、あれの母体みたいのがあって。
だから、大滝さんサイダー、僕と細野さんのキャラメルママ」

松本談
「はっぴいえんど最後のステージは、とっても気持ちよく完全燃焼できた。
解散はぼくが決めたことじゃなかったけど、四つどもえの相対的な価値観に
しばられることから逃れたいという気持ちはぼくにもあった。
ドラムはすごく好きだったけど、細野さん以外のベースでドラムを続ける気も
しなかったから、これで心置きなく作詞家になれると思った。
そして最後にステージからスティックを放り投げたんだ。
ああせいせいしたみたいな感じでね」

鈴木慶一談
「はっぴいえんどの最初と最後に一緒にやれたのは、いい思い出だし、いい偶然だ。
他者から見たら必然かもしれないし」

この日は宮沢賢治の没した日で、それを知った時に大瀧詠一は少し鳥肌が立ったという。

2枚に分散された編集盤なのでファンが楽しみにしている未収録の音源
(特にキャラメル・ママ)を含め当日の進行通りでcomplete盤がリリースされるのを
期待しております>show boat様

あゝ我が良き友よ/かまやつひろし - 1974.04.05 Fri









[sales data]
1974/4/5
[producer]
新田和長
[member]
かまやつひろし
ティン・パン・アレイ
吉田拓郎
サディスティック・ミカ・バンド
大瀧詠一
山下達郎
吉田美奈子
ガロ
山本潤子
伊集加代子
タワー・オブ・パワー
etc




本日は「ムッシュ」です(笑)
顔も名前も良く存じているはずなんですが、その活動実態を良く知らないので調べてみると
芸能一家の系譜で

ティーブ・釜萢 - 父。ジャズシンガー。
TAROかまやつ - 長男。ミュージシャン。
浅田陽子 - 叔母。ジャズシンガー。
森山久 - 叔父。ミュージシャン。
森山良子 - 従妹。フォーク歌手。
森山奈歩 - 従姪。元歌手。
森山直太朗 - 従甥。シンガーソングライター。



60年代はミッキー・カーチスらと共にロカビリーや歌謡曲を歌い、ザ・スパイダースで人気を博し
70年代からソロ活動を開始。
フォークとロックの中間のような立ち居地で当時の有名アーチストから提供された楽曲で
構成されたアルバム。

0-070822-04.jpg

アルバムタイトル曲は大ヒット!!!

81830007.jpg

普段、自分が購入するようなアルバム質ではなく歌謡曲の要素が高いので深みは感じませんが
アレンジャー、コンポーザー、楽曲提供者を確認して視聴すると意外と楽しめます。
かまやつさんはきっと気さくな性格のためこれだけの有名どころが結集したのだと思いますが
このアルバムには収録されていませんが、ユーミンの中央フリーウェイも元々は
ムッシュに提供するための楽曲でした。



余談ですがムッシュとレイジーは縁が深く、1977年2月、朝日放送『ハロー・ヤング』の司会を務め、
これに出場したレイジーの才能を見出してデビューの誘いをかけ、レイジーのデビュー盤
楽曲提供もしていますが、本来ハードロック志向だったレイジーがアイドル路線で
デビューさせられたことは予想外だったそうで、後に
「レイジーをあのような形でデビューさせたことを後悔している」と語ったそうです。

個人的には「はじめ人間ギャートルズ」のエンディングテーマ「やつらの足音のバラード」が
結構好きだったりします(笑)

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