いつだってビューティフル/シーナ - 1982.12.26 Sun
アルバム帯にLDKオールスターズとあるのですが「LDK」とは細野さんが
「YMOが成功したら自分のレーベルとスタジオを持ちたい」と希望していた
1982年アルファレコードに自身のレーベルである「\EN」レーベル設立同時に開業し
細野氏や\ENレーベルの音楽制作拠点としてフル活用された最新スタジオで
最初に制作したアルバムということだと思います。
(LDKスタジオは入居していたビルの老朽化により2014年3月31日に閉鎖したそうです)
当時、アルファレコードに所属しYMOの協力の元、デジタル・ビート・ポップを展開していた
初期のシーナ&ザ・ロケッツのテクノポップ歌謡で各所に細野さんっぽいサウンドが飛び出す
故シーナさんの初ソロアルバムです。
(チャンネル・グーに収録されていた「浮かびのピーチガール」再録)
この後シーナさんが産休(三女出産準備)に入ったため、鮎川さんはザ・ロケッツやサンハウスの再結成などで
シーナ復帰までの期間の穴埋めをします。
鮎川美人三姉妹
Absolute Live クレイジー・ダイヤモンズ/サンハウス - 1983.11.25 Fri
[sales data] 1983/11/25 [producer] サンハウス [member] 柴山俊之(vo) 鮎川誠(g) 奈良敏博(b) 浦田賢一(ds) |
1983年9月23日、日比谷野音で行われたサンハウスの最初の再結成ライヴ。
(前座はARB&ルースターズ)
1978年解散後、サンハウスが九州のロックバンドにもたらしたロック・スピリットは
ARB、モッズ、ルースターズなどに受け継がれ「めんたいロック」ムーブメントが高まり
再評価高まる中、担ぎ出された? 感じのライヴです。
(シーナさんの出産準備でシナロケが活動休止中)
サンハウスのあのルーズなサウンドを期待していたのですが、音はソリッドかつシャープで
まんまシナロケという感じで、期待していたサンハウスのものではありませんでした。
本ライヴは当時レコードと完全収録のカセットで発売されCD化の際2曲カットされていましたが、
2008年に紙ジャケでリリースされた際は2枚組全20曲完全収録のコンプリート盤になりました。
(「ロックン・ロールの真最中」と「ミルク飲み人形」が追加収録)
ロケットサイズ/ザ・ロケッツ - 1984.03.21 Wed
[sales data] 1984/3/21 [producer] 鮎川誠 高垣健 [member] 鮎川誠(vo/g) 川嶋一秀(ds) 浅田孟(b) ***** 野島健太郎(g/key) シーナ(bvo) |
アルファからビクターに移籍しての第一弾。
(プロデュースはスピードスターレコードの創設者、高垣健さんです)
この頃シーナさんは産休中だったため鮎川誠、浅田猛、川嶋一秀のトリオ編成の
「ザ・ロケッツ」名義の作品。
「VINTAGE」と「ROKKET SHUFFLE」をのぞき柴山&鮎川ゴールデンコンビの楽曲です。
シナロケファンの中には意外にも鮎川さんの下手ウマボーカルが好きなファンが多く
「ホラ吹きイナズマ」は鮎川ナンバー人気曲です。
ストレートなR&Rナンバーの連続はまさに和製ラモーンズのようです(笑)
ニュー・ヒッピーズ/シーナ&ザ・ロケッツ - 1984.11.21 Wed
[sales data] 1984/11/21 鮎川誠 高垣健 [member] シーナ(vo) 鮎川誠(vo/g) 川嶋一秀(ds) 浅田孟(b) ***** 中西康晴(key) 沢井原兒(sax) 包国充(sax) 兼崎順一(tp) 白山文男(tp) 向井滋春(trombone) 砂原俊三(sax) Joe Strings(strings) |
産休明けのシーナが戻ったシナロケ作品。
鮎川誠のボーカル曲とシーナのリードボーカル曲が交互に収録されており
(「PRETTY LITTLE BOY」のみシーナ&鮎川作で他は柴山&鮎川コンビの楽曲)
アルファ時代のスタジオいじり魔の細野さんの魔の手から逃れたことで(笑)
大胆にホーン&ストリングスを加えサウンドに厚みを増しPOPな中に本来バンドの本質である
ストレートなR&R気質がウズウズしている感じの作品です。
メイン・ソングス/シーナ&ロケッツ - 1985.05.21 Tue
ギャザード/シーナ&ザ・ロケッツ - 1986.06.21 Sat
ゲストに山口冨士夫と白井良明のお二方を招き、冨士夫さんが5曲、白井さんが3曲を
共同アレンジしています。
(冨士夫さんが他アーチスト作品に参加したのはこれが初めてのようです)
楽曲は(柴山&鮎川)5曲の他、(シーナ単独)2曲、「Time Limited Bomb」は(柴山&シーナ)
「Ban Boo Ban Ban」は(シーナ&鮎川)でシーナさんが楽曲制作に積極的に関わった作品です。
ムーンライダーズの白井さんはこの頃からプロデュース業が盛んになり、小川美潮、ZELAD、
ちわきまゆみ作品などを手がけました。
冨士夫さんとシナロケの馴れ初めは1月18日に鮎川&冨士夫の雑誌対談で意気投合し
速攻で月末の渋谷ライブインのライヴに冨士夫さんをゲストに迎え3日連続ライブを敢行。
その勢いで本アルバム制作参加&アルバムツアーにも同行します。
シナロケにゲストで呼んでもらったお返しに、タンブリングスの渋谷ライブインでの
ライヴ(5/6)に鮎川さんをゲストに迎え一夜限りのライヴが行われ、その時の音源が2018年に
「1986 SESSION」というタイトルでリリースされました。
キャプテンギター&ベイビーロック/シーナ&ザ・ロケッツ - 1986.12.16 Tue
[sales data] 1986/12/16 [producer] シーナ&ザ・ロケッツ [member] シーナ(vo) 鮎川誠(vo/g) 川嶋一秀(ds) 浅田孟(b) ***** 山口冨士夫(g) 野島健太郎(key) |
このライヴアルバムはレコーディング目的のスペシャルライヴとして行われた
1986年9月25日(名古屋市民会館)と1986年10月4日(渋谷THE LIVE-INN)2箇所の
3時間ノン・ストップ34曲というフルパワー演奏の編集盤(14曲カット)
鮎川談
「ロックてのは迷惑なもんやからね。デカい音出して近所迷惑するし非常識だよ」と
嘯くライヴ命のバンドにもかかわらずシナロケ名義のライヴ盤は結成8年目で
初めてというのが意外です。
シナロケのライヴがなかなか出なかった事について鮎川談
「俺らってあんまり昔やったテイクを後生大事に持って歩くみたいなのよりも、
やりっぱなしみたいなイメージがあるでしょ(笑)今日ここで共有した人たちだけで
(ライヴは)完結って気がしてたから」
シーナ談
「(ライヴを出したのは)空気がそうなってきたから」(レコード会社の働きかけ(笑)
アルバムツアーに同行した冨士夫談
「彼らの曲は覚えやすかったし、指が勝手に動いちゃうような感じだったからさ、
最初からスムーズに音を出すことができたんだ」
鮎川談
「冨士夫ちゃん、全部自分で決める人やし自分の中に引き出しやらが沢山あって、
曲が始まったら、その曲を良くしようっていう本能が強い人やし。
伝わってくるっちゃ、冨士夫の音は」
実は冨士夫さんここ数年薬害のリハビリ期間中だったのですが、まだ完全には
断ち切れておらず、実はこのライヴも・・・
当日のドタバタ劇は「Nico-Nico Guitars」の粕谷利昭さんの手記に詳細に記されています。
ハウス・レコーデッド/サンハウス - 1990.05.25 Fri
[sales data] 1990/5/25 [producer] unknown [member] 菊(vo) 鮎川誠(g) 篠山哲夫(g) 奈良敏博(b) 鬼平(ds) 浦田賢一(ds) |
このライナーを書いている松本キンキー康さんはサンハウスの魅力を
「日本語の美しい響きとロックビートの幸せの出会い」としており
「自分たちの歌いたいこととその演奏の間に距離がなく、自信を持って自分の言葉を
吐いているところだ。」という記述に妙に納得してしまいます。
「初期プライベート録音集」ということで音はそんなによくないのですが
演歌担当者が録音して妙にモコモコした音にしてしまったオリジナルアルバムより
サウンハウスの等身大サウンドに近いのではないかと思います。